人間は鋼(はがね)じゃないしの
『日本残酷物語』という本に出てくる、筑豊の炭鉱に勤めていた老婆の一言。
私の好きな言葉の一つです。
そうなんですよね。
人間は鋼じゃないんですよ。
怪我もするし、病気もするの。
なのにどうして人間ってのは鋼やら鉄っちゃん鉄やらになりたがるんでしょうね?
無理じゃん。そんなの。
話をぐるっと変えて、ロボットに視点を移してみますとね。
人間がロボットを作る理由の一つに、「人間を再現してみる(生み出してみる)」というものがあります。
人間が何かを創造すると、それは自然と生物に似てくるものなのですが、どういうわけかロボットだけは違うんですよね。
二足歩行型のロボットを作ろうとしているのに、やっぱりその素材は軽金属だったりプラだったりシリコンだったりするわけです。
ロボットの機構系に生物クリソツな部分があることは、何ら否定しませんけどね。
でも「皮膚素材がタンパク質で出来ている」とか、「腸があってウ○コする機能がある」とか、「こいつ、また風邪引いてパ○ロン飲んでるよ」とかみたいなロボットございませんでしょ?
要するに、何がいいたいのか。
それは「あんまり“鉄腕アトム”っぽい完璧超人ロボットを作ろうとすると、おそらく人間とは程遠い代物になるよ」ということ。
人間がいて、そのロボットがいて、初めて全てが補完されるような。
あるときはロボットが人間を助け、あるときは人間がロボットを助ける。そんな関係性。
そういう曖昧で貧弱なるロボットの方が人間とうまくやっていけると、私は思うのです。
「ロボットも鋼じゃないしの」