「戦前」の陰で

 今回の衆院選の結果に、左派は全くいい気はしないと思います。
 例の如く
 「軍靴の足音が聞こえる」だの、
 「9条を守れ」だの、
 「原発は全て廃炉に」だの。
 寝言のようなことしか各紙は書きませんが、その中でも「どういう意味で使っているのだ?」と記者に問いただしたくなる一言があります。


 「戦前」という一言です。
 「戦前」と使う際は暗黙の内に、先の大戦の悲惨さを意識しているのではないかと思われるのですが
 ともすれば、実に勉強不足な上、お粗末の限りです。


 私が考える「戦前」というのは、「戦前(の社会構造・システム)」という一点に尽きます。
 ようやく体系を成した公的扶助が、旧来の私的扶助に戻ること。
 都市と地方で著しい経済的な差が生まれること。
 貧することから生じる倫理感の著しい低下。


 私はこうした点を若干、危惧しているのです。
 竹中教授が「貧しくなる自由がある」旨の発言があったと聞きましたが、これは正しい。
 もはや貧しくなる一方であるのは、アメリカを先例とすれば至極当然ではありませんか。
 貧しさの先には何があるのか。
 そこに論点があたらないことに、政治の不作為があると私は思っています。


 貧すれば鈍するのは、何も一個人に言えることではないのです。