To be or not to be

 先日、草間彌生氏のドキュメンタリー番組を観ました。

 

芸術がなければ自殺していた



 毎日のように死ぬことを考えている人間が生きるには、どんな生き方があるのか。
 録画しなかったことを悔やんで仕方のない、素晴らしい番組でした。


 今月に入ってから、毎日死ぬことしか考えていません。
 朝も
 昼も
 夜も
 「何にもできない、私は死ぬべき」
 そんな禅問答の繰り返しです。


 30を目前にして、このまま自殺せず生き延びるにはどうすべきか。
 延々考えた末、私の下した結論は
 「自分の殻を理性の限界まで大きく作り、ちょっとだけ窓をつけて、最後はその殻に閉じこもる」
 というものでした。
 半隠遁のような生活がベストな生き方。


 社会、会社、友人、家族と世界を広げて欲求を満たそうとすれば、それは私の能力を大幅に超えるものであって、
 反対に自分の殻に閉じこもるとすれば、逆に欲求を満たせなくなるであろう。
 おそらく、耐え切れずに自殺を選ぶ。


 「自分が幸せになること=気分がよくなること」を、今の私の力で成立させるにはどうすべき考えたのです。
 自らの持っている欲求は何か。
 そのために何をすべきか。
 実行した場合、何ができるのか。
 どちらにしても、いつか死ぬのだから。
 その辺りを旅行や休日を使って、整理してみたのです。


 実際問題、私の欲するものはシンプルなもので、そこに自分以外の要素を含めてごちゃ混ぜにして考えていたから、複雑なものなのだと誤解していたのです。
 整理をしてみたら、「あぁ、こんなもんなのか。欲しかったものは」とその目的と手法が見えてきたのです。


 鮮明になった目が再び曇らないうちに、やることをやっておこうと思います。
 全ての目的はシンプルに。
 全ての手法は我侭に。