mixiを終えるにあたり

AkatakA wrote at2006/06/16 00:36
よく分からんな。


>正直言って社交性がありませんw
>もうね、社交性が得られるなら人生半分の時間が無くなっても平気なくらいw


といってる割には、社交性を持とうと努力してるところがあんまり見受けられない気がするのだが。努力してるならすまん。


>私の原動力の全ては惰性と自虐、劣等感から来るものです。
>正直に言えば、それら感情を楽しみつつも打ち砕こうとするモチベーションで生きているわけです。


楽しんでるなら、そういうやつらとつるむことでさらに楽しめるんじゃないのか?


言っちゃ悪いがなんか、「自分以外が幸せなのを見てるとテンション下がる」という文章にしか見えないよ。
人生の楽しみや、幸せなんて自分で見つければそこかしこにおちてるもんで、それに気づかなかったら今頃死んでる身としては、君の言ってるのはただのわがままだよ。


ちなみに、別に君が嫌いとかでこういうこと書いてんじゃないから、そこんところは勘違いしないでくれ。



 5年前、このようにアドバイスされましたが、何の成長もなく人生を歩んできたようです。

「自分以外が幸せなのを見てるとテンション下がる」

 先輩からの指摘は誠に正しく、未だに胸に刺さる思いがします。
 私は、やはり卑しい人間です。


 社会人となり、初めて「自分は非才である」と否応なく気が付かされました。 
 大学の同期・先輩方は、その才により幸福を掴み
 大学院の同期は、早くも役職者となる者、起業する者、教員となる者があり
 会社の同期は、世帯を持ち、昇格を果たす者あり。


 その方々の努力、才能や門戸を羨ましく思うだけに終わりました。
 自らを奮起させることもなく。

「社交性を持とうと努力してるところがあんまり見受けられない気がするのだが」

 同様に
 人に貢献し、
 人から認められ、
 人に施すことすら、これ適わず。


 その努力も、単なる自己満足に終わりました。


 mixiを終えるにあたり、その人間関係もまた、終えようと思います。
 田中先生は、私に「君の素直さは常人ではできない、褒められたことだ」とお褒め下さいましたが、私は人格者ではないのです。
 他人と幸福を分かち合えるような人間ではないのです。
 優れた者は、優れた者同士で集まり、その形成を為せば宜しい。
 私がその中に入る蓋然性も必要性も、これっぽっちもありません。


 願わくば、私が死するまで他人の人生を横切ることがないように、心得ることでしょうか。
 皆様、良い人生を歩まれんことを。