ある種の宗教性

 休職して一度冷静になり始めると
「何故、セカンドオピニオンを一切せず、たった一人の主治医の言う事を鵜呑みにしていたのか?」
「何故、自分には障害があると思い込み、確信を得るに至ったのか?」
そんな反省が頭をよぎります。


 今思い出してみると、懸命過ぎるほど懸命に治療に励んでいたように思います。効かない薬を飲んでは自分は治ると信じ込み、本を読んでは自分には障害があると思い込み、違和感を感じても主治医の治療方針を信じきって、ひたすら仕事をしてきました。結果として、私は破滅的な行動をとったわけですが、その中でも反省点がいくつかあります。


 何人も精神を病むと、“ある種の宗教性”とも云うべき「視野の狭窄」に陥るということです。例えば、オウム真理教の信者のように、主治医を純粋に真っ直ぐ信じきってしまうことが挙げられるでしょう。後学として、いくつか反省点を挙げるならば

・治療開始後の半年間で回復傾向が見られなければ、主治医を変えること。
・駅前にある町医者は避けること(医師自体の質が悪いことが多い)。
・主治医の指示を100%信用しないこと。
・精神の病気には確定診断というものはないこと。
・最初から「自分は○○なのだ」と病名を付けないこと(主治医に先入観を与えるきっかけになる)。
・主治医の態度が高圧的ならば、さっさと別の病院に変えること。

 こんな事が挙げられると思います。


 この期に及んで、これに気が付いたのは実に残念ですが。