私は親不孝者にして

最近面白くない内容ばかりですが、今回も面白くありません。
自分でも分かっていませんが、私の記録として記憶の代わりに留めて置きます。


大学受験時同様、関東圏の企業に勤められない可能性がある現在、私が一番心配しているのは家族の事です。
父は数年先に定年を迎えます。
母はホームヘルパーを勤め、おおよそ同じ時期に辞めるでしょう。
妹は私と同じ時期に勤め始めますが、勤務地は分かりません。
私は関西に行くことになる・・・。


今は問題ありませんが、問題は将来なのです。
10年後、20年後と経て当然両親は老いていくわけです。
一体、誰が両親を見届けるのか。
それが気がかりでならないのです。
誰が一緒にいてあげられるのか。


そう考えれば、さっさと弁理士を取って関東圏に転職するべきでしょう。
仕事をしながら、両親を支えるのが一番です。
それも一理あります。
というより、できるならそうしたい。
そうでありたい。
しかし、それだけの能力と努力を今までした事があるでしょうか。


生まれてこの方、した事がありません。


私にとって家族とは会話そのものです。
愛だの絆だの、そんな低俗なレベルでは語り尽くし難い。
会話こそ全て。
そんな家庭なのです。
皆さんに語ったことがありませんが、和歌山での一人暮らしに母との電話は支えでした。
記録を見ると、一日平均1時間は電話で話をしていたくらいです。
(同じIP電話なので通話無料だったため)
顔を合わせて話をする事がどれだけ大切なことか。
手を繋ぐ事がどれだけ幸せなことか。
一人暮らしをした事がある分、その必須性が肌身から離れないのです。
我が祖母が畳の上で亡くなったように、最初から最後まで一緒にいることが幸福だと思っているのです。
そう、他愛もない話を延々と。
命の限りが尽きるまで。


それこそが私と私の家族のあり方。


ただし、私が思っている以上に
父は「向こうには引力があるんだよ」と就職できたことを喜び、
母は「また関西に行くのか」と寂しいながらも応援してくれている。
そんな両親の姿を見ると、果して自由奔放の意味を履き違えたのかと自身を殴りたくなります。
私は親不孝者であるのでしょうか。
おそらく、親不孝をしていることに間違いなさそうです。


※私信はありません。