イノベーション試論(1)

FutabaUniv2006-06-26

発明の事をインベーションといいますが、それ自体には狭義的な価値しかないと言うのがイノベーションです。
いかに発明が新規性を有していても、知識活用・社会性・矛盾点・システムを包括して商品化し
さらには市場に受け入れられるものでなければ、ある種無駄と化すわけです。
不均衡な環境下で、知識が知識を、技術が技術を流動的に革新させることでイノベーションが成り立つ。
すなわち、商品化により技術が公開され、更なる新たな技術が求められ、生み出され、そして環境が再び不均衡となる。
しかし、技術それ自体は大した問題ではない。
イノベーションは技術のみで成り立たない。


イノベーションの基本書の最初に説明されていた要約がこんな感じで、かなり抵抗がありました。
(#゚д゚)「キレちまったよ、屋上に(ry」
そんな気分w
そこに技術屋やアカデミックに対する敬意なんて、ほとんどと言って良いほど書いてありません。
書いてあるのは
「商品化による企業利益をどう確保するか」
「技術は二の次、三の次」
そこに集約されます。
イノベーションという学問からすれば、至って当然なのでしょうが。


正直、昨今の知財は技術者保護というより権利保護に終始している感が否めないのです。
では、なぜ権利保護が重視されるのか?
理工系の思考だからこう考えるのかもしれませんが
『アカデミックな研究成果に権利化・応用性を求めているのは、単に企業の巨額な投資が嫌だから』
そう思ってしまうのです。


※画像は適当。
私信はありません。