好意と悪意との時期

 人間、歳を取ると頭は良くならず、図々しくなる一方です。


 図々しさ故に、人から好意を持って扱われる機会が年々減ってゆき、
 最終的には悪意を持って扱われる機会が圧倒的に増えてくる。
 私は今、そんな過渡期にあるのだと思っています。


 人から嫌われる事ほど、ストレスになる原因はないものですが、
 かといって他人の好き嫌いをどうこうしようと思うほどに他人に関心はありません。
 実に矛盾しているようですが、人付き合いが煩わしい私はそんなものです。


 外郭が脆くなっていくと、内郭に閉じこもろうとするのが世の習い。
 そんな習いに私も同じくして、仕事が終われば(終わってなくても)さっさと家に帰ることにしています。
 だって、この世は悪意に満ち満ちている。
 そんな外の世界を広げるより、内の世界を広げていったほうが人生有意義だと思うのです。


 私の一生は一度だけですし、他人がこれに代わることはできません。
 外の世界はいくらでもありますが、内の世界は一つだけ。
 先に後にも一つしかないのです。