実名の陰で
信濃毎日新聞の社説「被害者の実名 思いを共有するために」を読む。
実のところ、北アフリカでのテロに関する報道において批判されたマスメディアは、「とやかく言われる筋合いはない!」という“思い”があったのではないか。
私も同じ“思い”を感じたことがある。
とある発明の公報を載せたとき、その発明者の関係者を名乗る方から「住所は載せるな」と抗議を頂いた。
私は「公報の公開は原則。しかも、刊行物に載っているのに何をいまさら」と感じたが、同時に「確かに住所は必要がない」ことにも気がついた。
発明を批評する上で、発明者の住所までは必要はないことくらい、よく考えれば分かる話である。
「特許なんだから、全て公開するのが当たり前だ」
そんな感覚、そんな倫理観が、専門職だった当時の私にはあったのだ。
新聞記者という専門職であるが故に持つ、特異な感覚や倫理観を“思い”として主張するのは結構だが、
その“思い”が一般生活を営む人々の感覚からかけ離れていることに、まず以って信濃毎日新聞は気がつくべきだ。
読者側は、容易に新聞へ歩み寄ることができる。
しかし、新聞側が“思い”を共有すべきか考えなければ、いつまで経っても平行線のままである。
・・・うん、やっぱり文章力がいまいちorz