差別用語を知ったとき

 私が差別用語を知ったのは、15を過ぎた頃です。


 『人権を守ろう』
 外勤を終え、私に手渡されたその冊子。
 家に持ち帰り一通り読み終えて翌日、学校にて用語を説明したところ、返ってきた答えは意外なものでした。
 「で?だから何?」
 私は「いや、問題意識を持つことこそが重要だ」と述べると、
 彼は「日常で関知し得ない話だ。どんな効果があるのだ?」と返すのです。
 今考えれば、彼の意見は頗る正しいものでした。


 少なくとも我が学区には、古い慣習に基づいた差別は表立ってなく、従って日常において聞き入る機会もなかったのです。


 19にして住まいを西に移すと、逆に差別用語を聞く機会は増えました。
 左寄りの教育学の教授が部落解放同盟と戦ったことを勇に語る際に、平然と発せられる。
 年配者の方々は「○○って分かる?」と声を潜めて、若い私に尋ねる。


 今、手元にある民俗学の本にも、差別用語は載っています。
 戦前に著された本には普通に使われているので、辞書を持ち出すのですが、辞書にも載っていないことすらあります。
 次にネットを使って調べるのですが、ネットにすら情報がない。
 こうなりますと、生き字引に聞いてみる他ない。


 しかし、たまに思うのです。
 「仮に、この言葉を忘れてしまえば、差別そのものがなくなるのではないか」と。
 「仮に、この言葉を忘れなければ、差別そのものがなくなるのではないか」と。
 そこには正解も不正解もありません。


 分かるのは、人の忘れやすさ、人の業の深さだけです。