学びて、ときに之を嘆く
「人間」という語彙のおかげで、わたしたちは個々の人の詳細を観察しないとも言える。
私が10代の頃、もしも生成文法や認知言語学の存在を知っていたのならば
おそらく分子生物学は辞めて、言語学に没頭したに違いありません。
学ぶは一生ですが、その機を逃した感覚は覚えるのです。
歳を取れば取るほどなおさらです。
何故、その時に気がつかなかったのか。
もちろん、理系に進んだことにより戦略的な、ロジスティックな思考が身に付き
文転により、多少の文章が理解できるようになりました。
しかしながら、コアとなる部分がどうもすっぽ抜けているように感じます。
勉強してると、どうも自分の未熟さに気がつく。
最近の悩みは、もっぱらここに終着します。