情報の文明学
- 作者: 梅棹忠夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/04/01
- メディア: 文庫
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この本に記載の『情報産業論』は、約半世紀前の1962年に発表された論文です。
ベースは産業史ではなく文明的な視点に基づきます。其れ故、「情報化社会の予言」というよりも「情報化社会における人間の予言」といった方が良いのではないか、と私は感じた次第でして・・・。
情報ということばを、もっともひろく解釈して、人間と人間のあいだで伝達されるいっさいの記号の系列(pp.39-40)
と、情報を「記号の系列」と定義した上で
人間はそれ自体、情報の担荷体である。(pp.228)
と、人間そのものが情報なのだと、人間に観点を絞って述べた後に
つまりコンピューターは、計算と情報ストックのためには、はなはだ有用であるが、言語を主体とする人間の知的生産に対しては、はたしてどれほどの革命をもたらしうるかは、いまのところ疑問なのだ。(pp.296)
通常、我々が考える「情報化社会」の要ともいえるコンピュータと、知的生命体としての人間を対比させて、その連動の実現性についても言及しているところに、感嘆せざるを得ませんでした。
ベースは、やはり人間なのです。
『情報産業論』の凄みは、人間そのものを合目的的乃至合理的に学問する比較人類学に対する、梅棹の徹底した姿勢にあります。
『情報産業論』の独創性の由来は、人間を考えに考えた挙句の結論だと思います。
(´Д`).。o○(やっぱりスゲー人だな、この人)