「空気」の研究

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))



 難解な文庫本でした。
 普段感じている「空気」という名の得体の知れない、しかし強力な力。
 その場の「空気」。
 あの時の「空気」。
 「空気」がそんな感じだった。


 日頃から、私たちが感じている「空気」とは何か。
 それは「臨在的把握の被支配」が根底にあって、アニミズム的な「物に対する感情移入」や儒教的な「親と子の隠し合いによる直きこと」により強化・補完されるもの、らしいです。


 この「空気」。
 世界にも存在するのですが、色々な策が講じられてきた歴史があるようです。
 例えば、初期キリスト教イスラム教などが、偶像を悉く破壊し、偶像崇拝を極力抑えていたのも「空気による支配」を防ぐ目的もあったようです。
 絶対なるものは神だけであり、それ以外のものは全て相対化されることにより、「空気」の醸成を防ぐことができる。


 また、日本でも明治維新以前には、「水」を差すことによって、「空気」を雲散霧消させる方法があったようです。
 例えば、小学生でも分かるような絵空事が支配する「空気」に、現実という「水」を差すことで、現実に引き戻したりする。
 しかし、戦後の日本においては、この古い知恵である「水」が効かなくなり、あらたな「水」を用意する必要があったのですが・・・。未だにそれがない。


 恩師が「日本は宗教観に基づく倫理がないに等しい故、将来に混乱を迎えることになるだろう」と仰っていました。
 今考えると、それは「情況倫理」を指しているのかもしれません。
 (´Д`)情況倫理ねぇ
 (´Д`)必要でありながら、50年先も生み出せない気がするなぁ