言語を生みだす本能〈下〉

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)



 チンパンジーにも言語能力があるように見えるが、彼らの使っている手話を聾唖者が見れば、全く扱えていない。ピジンクレオール化、ASLを巧みに操る子供、SLIや失語症患者にみる言語能力。
それら事実から立証されるのは、『生得的』で『特有』で『普遍的』な言語能力です。


 この本、正直言ってキツかったです。英語がある程度できる人が読むと誠に楽しめる本ですが、私は全くもって英語が苦手でして・・・。


 ちなみに私の注目したのは、第7章「言語指南者たち」。この章には、特許明細書のような法律文章に対する、ある種のアンチテーゼが含まれているように感じました。

 「ルール」、「文法的」、「非文法的」という言葉の意味が、科学者と一般の人で大きく異なることが、矛盾の原因になっている。皆が学校で習う「ルール」(習いそこなうというほうが現実に近いか)は、どう話す<べきか>を示す「模範的ルール」である。一方、言語を研究する科学者は、実際にどうはなしているかを示す「記述的ルール」を提示する。二つはまったく別ものなのだ。(本書p.206、太字はFutabaによる)


 模範的ルールにばかり目を向けるのはその人の自由だが、ドッグショーで犬を審査する基準が哺乳類を対象とする生物学的研究に無関係なのと同様に、模範的ルールは人間言語の本質と何の関係もない。(本書p.208、太字はFutabaによる)



という文に続き、いわゆる言語指南役(辞書の監修者、コラムニスト、エッセイスト、国語教師、自称有識者など)が権威のように振る舞う様を、

 規範ルールは論理にも伝統にも背くものなので、ルールなど守っていたら、曖昧でぎこちなく、くどいばかりで理解不能な文章ができてしまう。場合によっては、書きたいことも書けなくなるだろう。(本書p.209)



 と、著者は手厳しく非難しています。


 「言語指南役は規範ルールを守ることこそ理性的であるように振舞っているけれども、そもそも規範ルールは所詮飾りみたいな存在である。」
 「しかし、言語指南役は、人間の生得的な言語能力を全く鑑みていない。」
 著者は、そのように主張しているわけです。


 新語、隠語、造語やスラングを“規範ルール”に基づいて批判する言語指南役に対し、著者は“記述的ルール”に則って、逆に反駁を試みます。


 次の一文は、さらに手厳しい。

 自称指南役が私たちにしゃべらせようとしている言語は、英語でないだけでなく、人間の言語でさえありえない!(本書p.237)



 私が思うに、法律文章も同じようなものだと思います。
 クレームや明細書を書くとき、「誰が読んでも理解でき、いつの時代でも解釈できる文章を書くように」と指導され続けてきましたが、その背景にあるものは、実務家という名の“言語指南役”による“規範ルール”なのだと思います。
 さらに言えば、言語と思考は全くの別物です。もちろん、言語と思考の関係性を否定するつもりはありませんが、法律文章の多くはリーガルマインドに根付いたものです。とすれば、法律文章は“記述的ルール”に従っているようには見えません。
 多くの言語学者が「法律家は文章下手だ」と評価するのも分からないことではないのです。


 知財人の端くれとして、ちょっと考えさせられます。