溜めという捉え方

最近、就職活動をしている中で思うのは
「溜めがなくなったのかなぁ」
ということでしょう。


以前、NHK教育の番組内で“もやい”というホームレス支援組織の中の人が仰っていたのですが
再起不能まで堕ちる原因は「3つの溜め」が無くなった事にあるのだそうです。
簡単に言えば余裕の事です。
経済的な溜め。
精神的な溜め。
人間関係の溜め。
それらが全てなくなった瞬間、もはや再起できない状況に追い込まれると言う訳です。
しかしながら、アドバイスや助言をする人ほど、この「溜め」をよく理解しないまま話しており
何の役にも立ってなかったりするんだそうで。


ちょっと分かる気がします。
もちろん就職活動で失った溜めなぞ、微々たるものです。
比較の対象にすらならないでしょう。
ただし「何の役にも立たないアドバイスや助言」と感じることが、ここ数日ありました。


「疲れてるなら、一度就職活動止めたら?」
「気分転換に旅行でも行ったら?」
「まあ、まだ3月だしそんなに焦んなくてもいいんじゃね?」
一体全体、どう考えたらそんな結論に至るのか不思議でならないのです。
それをご当人は貴重な助言として、そして嬉々として仰るのですが
私には全く理解ができません。
正確に言えば、理解できる状況にないのでしょう。
私もご当人も。


だからといって、私が彼らに苦労自慢をするのも考え物です。
「自分は今、こんなに苦労してるのに。あいつは何言ってるんだ」
とか、こうした考え方はセンスレスそのもの。
生きることは苦しむことであり、それを比較の対象にはできないでしょうから。


結局のところ、溜めがなくなったら自力で何とかしないとダメっぽいです。


※私信はありません。