矛盾の存置

 以下は、私の抽象的かつ散漫的余談である。


 この世は矛盾に満ちている。
何とも数十年前のフォークソングの歌詞のようだが、現実である。


 矛盾とは、実に身近なものである。
政治、経済のみならず会社、人間関係、家族、そして私とあなたに至るまで
矛盾は必ず存在する。

 
 ここ20年の世の中は、この矛盾をどう「解消」するかという一点に絞られてきたと
私は思っている。
私において、当初の対象は特許と言語とにあった。
特許庁と大学院とを往復する日々の中で
「特許と言語を融合させ、いかに矛盾を解消するか」
という命題に頭を悩ませた。
就職後も考え続け、挙句の果てに休職するに至った。


 復職後、雑務に追われる部署へと異動となり、研究は一時的に頓挫したが
現在の対象はロボットになった。
私は過去の轍を踏まぬように、次のような選択肢を考えた。

矛盾は「解消」させるものである。

矛盾は「大きく及び/または小さく」させるものである。

矛盾は「そもそも存在しない」ものである。

 これらを考える上で、社会科学や人工知能のペーパーは少なからず役に立った。
どのペーパーもこの3択に絞られていた。
当然のことだが、実利を求める今日にあって
社会科学においては、経済や政治の問題を範疇に収め
人工知能においては、上2つと合わせて経済の問題をもその範囲としていた。


 しかし、私は一つだけ気になることがあった。
その矛盾の存在を否定し、もしくは解消や拡大縮小した先はどうなるか全く見えてこないのである。
矛盾を問題とする動機付けは、人間というより現代社会にある。
その矛盾に耐えられない程に、現代社会は人間との均衡を崩している。
社会は、手段を問わず「1つの中心により、円満に解決する」傾向が極めて強い。
さて、どうなるのか。



 そこで、私の研究の方向性は決まった。

矛盾は「存置」させるものである。

 矛盾は「存置」させる。
そして、矛盾はロボットと人間との2つを中心とする楕円の中に閉じ込めてしまえ。


 かくして私のロボット研究は、『強いロボット』から『弱いロボット』へと大きく舵を切ろうと決意した。
(了)