幸せの形

派遣社員で入庁(入社)して
職員として採用されて
幹部候補の男性と結婚して
妊娠して
出産して
子を育てながら働いて・・・。


今まで何回か見てきた光景。
どの女性も「この人となら結婚してもいいなぁ」と私が思うほど、良い人ばかりでした。
(この文章、同居人が読んでいないことを願います)


女性の幸せとは「子どもを生み育てること」
今でも、そんな社会的な概念は根深く残っている。
時として、そう感じることがあります。


私の知り合いの女性から「不妊治療の末に仕事に人生を賭けた」と聴きました。
それは死ぬ程の絶望感に打ちひしがれ、残酷なまでの現実と戦った。
男性の私には分からないことです。


前文に戻ります。


それが世間一般の「普通」の幸せであるならば、それはそれでよろしい。
ただし「普通」ではない幸せも、また幸せなはずです。
生まれた環境により、もしくは生まれた後の価値観により、幸せの形は違います。
同居人は酒とシガーを嗜み、男遊びは尽きません。
しかし私は同居人をヒドイ人だとは思わない。
同居人には同居人のあるべき姿があり、私には私のあるべき姿があれば
それが互いの幸せの形だと、そう信じて止みません。


何が云いたいか。
時として、人の幸せと自分の幸せとを比較してしまう。
考えまいとしても考えてしまう。
それも人間のサガであり
嫉妬心や懐疑心が生まれることもまた、致し方ないということです。