反貧困−「すべり台社会」からの脱出

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)



 自己責任論、そして貧困の見えにくさ。貧困への関心は、向けられつつあるのか。


 自己責任論は、現代社会との親和性が極めて高い概念です。社会の中で一定の影響力を保持し続けるものであり、非常に「人間の本性に馴染む」「人間臭い」ことに間違いはありません。
 自己責任論を政治的解決に解決しようとするにしても、貧困の見えにくさが壁となって現れてきます。ビル清掃人の「制服効果」は「透明人間になる」ことだと自嘲する映画の登場人物のように、例えば、街中を見渡しても誰が貧困なのか、私は一見して判りません。もっと言えば、そのような意識を持って誰しも日常生活を過ごしてはいません。


 著者は、自己責任論には『3つの溜め』『5つの排除』という独自の概念を持って反論しています。
 人は溜池のように一定の金銭的、人脈的または精神的余裕があるから安定するわけで、自己責任論はそうした背景を無視している。そして、溜めのない人々は、自己を攻め続けることであらゆるものを排除し、最終的には自分自身の排除(極端に言えば、自殺)に至る。
 しかし、いくら議論を尽くしたところで、貧困の見えにくさが邪魔をしているように思えます。


 この著書に、次のような一文があります。

 

 路上で活動していれば、野宿生活がいかにキツイかは、すぐにわかる。冬場にしんしんと底冷えが伝わってくるコンクリートの上に体を横たえていれば、「好きでやっているか、やむを得ないのか」といった議論が、いかに抽象的なおしゃべりであるかは、体で理解できる。(P.205)



 この一文は、人の感性や感情に訴えかける自己責任論と同じように説得力がある一方、「この程度のことすら想像し、議論が及ばない社会」である現状を露呈しています。
 貧困は21世紀の課題の一つでありながら、「貧困に関心を持つこと」の難しさが当面の問題のようです。